安全会議の目的と運送業における重要性

 

安全会議の目的

2021年7月

https://youtu.be/Gjt5KzHK6uQ

いつも安全な走行、荷役をありがとうございます。

皆さんの危険に対する予測、予防のお陰様で大きな事故もなく運営をすることができています。

この場を借りて御礼申し上げます。

さて、ここ2年ほどコロナ騒動も相まって、動画を使っての安全会議をしておりますが、そもそもなんで安全会議なんてやっているのか?

車なんだから、事故が起きることもあるでしょう?

安全にってどこに向けて言っているの?荷主?客?

という素朴な疑問がありはしないか?

安全会議の目的が不明確になってやしないかといったことから、今回は安全会議の目的ということでお話をしていきます。

なぜやらないといけないのか?言わないといけないのか?

安全会議の目的が荷主様、ユーザー様の為というのも正解なのですが、いろいろ理由はあるんだけど、結論は国です。

安全会議と言っても、同じ運送業でも扱う荷物も違いますし、管理者さんの趣向も影響するでしょうから、内容において全く同じものというのは無いと思います。

それでも言っている内容そのものに大差はなく、事故をしないように、事故をなくすように、安全な荷役をしましょう。の通り一辺倒なものが多いかと思います。

確かにその通りで、貨物自動車運送事業では運転を職業とする人を雇い入れて運送を行っていることから、事業者に対して年間12回にわたって、指定された項目に合うテーマで安全教育を行うことを義務付けています。

項目については以下の通りです。

ドライバー教育12項目

  • ・事業用自動車を運転する場合の心構え
  • ・事業用自動車の運行の安全を確保するために遵守すべき基本的事項
  • ・事業用自動車の構造上の特性
  • ・貨物の正しい積載方法
  • ・過積載の危険性
  • ・危険物を運搬する場合に留意すべき事項
  • ・適切な運行の経路及び当該経路における道路及び交通の状況
  • ・危険の予測及び回避並びに緊急時における対応方法
  • ・運転者の運転適性に応じた安全運転
  • ・交通事故に関わる運転者の生理的及び心理的要因並びにこれらへの対処方法
  • ・健康管理の重要性
  • ・安全性の向上を図るための装置を備える事業用自動車の適切な運転方法

私たちの貨物自動車運送事業は、国によって許可を得た者にしか事業をさせてくれません。

貨物自動車運送事業では、当たり前に安全会議を行わなくてはいけないんです。

国からの求めに応じて、実施した記録を出さないといけないんです。

 

なぜなのか?危ない仕事だからです。

人に危害を加える恐れのある仕事だからです。

黙って白ナンバーでやることはできるんです。でも、事業用トラックではないです。

摘発されて罰を受けて、その後は一定期間、新規に貨物自動車運送事業として許可が出ないということがあります。

人の求めに応じて有償で貨物を運ぶのなら、国の許可(国土交通省、運輸局)を得なさい。

人様に危害を加えることが無い様に、決まりを作るから、それに沿って安全を担保しなさい。って言っているんです。

国土交通省の見解

他人の需要に応じ、有償で、自動車を使用して貨物を運送する事業については、貨物自動車運送事業法に基づく許可等が必要となる。
なお、当該運送行為が、その業務に付帯して運送行為が行われるものであり、当該運送行為が主要業務の過程に包摂しているものと認められ、名目の如何に関わらず有償性が認められない場合には、貨物自動車運送事業法上の許可等を要しないこととしているが、運送事業以外の事業に付帯して密接不可分のものとして行われるものであるかどうか、有償性を有するものであるかどうか等については、個々の事案ごとに判断することとなる。

 

貨物自動車運送事業をするうえで、国と約束したことを守れずに、人に危害を加えた時や、実効性を確保するために罰を用意して守らせようとすることもあります。

車両停止という行政処分

国とした約束を守れなかった時や人に危害を加えたといったことで、事業用のトラックを動かすなと言われます。

貨物自動車運送事業では、たくさん守ることがありますが、その中の一つに先にあげたドライバー教育というものがあります。

さっきの白ナンバーの話も、事業用トラックであるという信用(≠信頼)を得るための手段であって、事業用トラックである、安全が担保されている「貨物自動車運送事業者」という看板に価値があって、それを主張することに意味があるんです。

その価値を維持するために、国との約束を守り続けているんです。

 

やって当たり前、出来て当たり前の話をしましたが、我々の周りを見渡せば、皆有資格者です。

我々、運転者も事業主もお友達のドライバー仲間も貨物自動車運送事業に携わる人間です。

みんな出来るんです。やってるんです。当たり前のことやっているんです。

 

車なんだから、事故が起きることもあるでしょう? 

有りますね。

やれと言われているから、多くの企業は最低限のお話として安全会議なりは行われていますが、それでも世の中、当たり前のことをやれない人というのは結構います。

同業者からしたら、なんでこんなところで事故が起きるの?と首を傾げたくなることもありますが、不注意で事故を起こすことはありえます。

何処の会社も似たようなお話だと思いますが、受講した側が、ふーん、安全に運転するのね。

と思うだけで終わらせてしまうのか、一人ひとりが、なんでやらないといけないのかまで理解をして、だからやらなくちゃいけないんだ。

これは、自分の生活を守るために必要なことでもあるんだ。

やらされていると思うのではなくて、自分の生活を守るため、自分と自分の家族の生活、今ある環境を守るためにしなくてはいけないんだと。

そういう思考に至れれば、普通にやってきているよ。という普通が、同業他社がしている、その他大勢と同じ、普通に当たり前のことを当たり前にやっている。と同じことなんだ。

自分もやっているけど、他の同業他社も普通に当たり前にやっているんだから、けっして特別なことなのではないんだという認識に至れるはずなんです。

 

世の中広いんだから、当たり前のことを当たり前にできない人もそりゃいるでしょうけれど、当たり前のことをバカにしないでちゃんとやれる。ことはとても尊いことなんだ。

誰もができる仕事ではない尊い仕事ではあるけれど、最低限やらなくてはいけなかったことを、当たり前にやってきたよ。だけでは、ただ運べばいいんでしょ。よりは良いとは思うけれど、その他大勢の同業他社との差別化には、ちょっと弱い。

まわりの同業他社よりも付加価値のある労働であったとは言い切れない。

 

 

 

キツイことを言いますよ。

これも、人の本能の話をしたときに出てきましたが、生存するための欲求が最優先されるのは至極当然のことではあるけれど、思考することができる、我々人間が、本能のままに行き当たりばったりに、その時の衝動のままに行動をすることが尊い仕事をしたと褒められることなのだろうか?ということ。
食うものもない、寝るところもないという人からしたら、何が尊い仕事だよ。

と感じるかもしれませんが、我々は、自分の今ある環境を守ろう、よくしよう。

大切にしようと思える人たちの集まりなんだから。

俺以外、若しくは俺も含めて、職場の皆がどうなろうと関係ないと考えている人はいないはずなんです。(*だったんです)

自分の生活、家族の生活を守ることは、同僚の生活も守ることになるんです。

今いる環境は、「私」だけでできているのではなくて、「わたしたち」で、出来ていることも忘れてはいけません。

 

集団社会を作っていて、集団の中では人に役割がある。

こどもがするだんごサッカーと、理屈を知った上で、訓練をして、見せる技術を持ってするサッカーでは、全然違うと思うんです。

分業もするし、人によって得手不得手もあるでしょうから、その人個人の「個」にも着目して、尊重もしなくてはいけない。(はずだったんです)

これも「個の尊重」の話で出ましたね。

でもね、やらないことが私の個性だとは言わないでください。

苦手なものもあるけど、得意なものもある。

もちろん、得意なことであればどうぞ提供してください。

でもね、その得意なことも相手の立場からは、どう感じるか、周りからはどう見えるのかを考えて、自己満足のための善意の強要になってやしないか?

皆が当たり前のことをやっていたら、差別化はされないわけですから、その他大勢の中に含まれては、目立つことは無いですよね。

悪目立ちするために、私という個の主張になってやいやしないか?ということを考えてみて下さい。どこに頼んでも、同じ成果が期待されるのであれば、よりコストのかからないお安い運賃の会社に価値があると、多くの荷主様、ユーザー様は思うんです。

 

でもね、安い価格競争は、自分の首を絞めるだけ。

時間当たりの生産高が上がらなければ、サラリーだって上がる道理がないですから、会社に利益が出ないような仕事であったら、営利団体とは言えないですよね。

株式会社というのは営利団体ですから。

必死になって働いて、生産高が上がらなくて、ただ忙しく走り回るだけ。

長時間労働になれば、集中力もなくなります。

働き疲れた先にあるのは、疲弊した未来しかない。

だから、単価を上げるために、付加価値をつけようってやっているんです。

価格競争で買い手市場にして、周りが淘汰された後に運賃を上げるといった手段を用いる会社もあるでしょうが、経営的判断は、社長がしますから。

売り手買い手市場と世の中の情勢次第では目まぐるしく変わってはいきますが、根本の企業価値というところは、変わらないと思うわけです。

うちの目指す付加価値は、当たり前のことがずーっと続けられるということも内包しています。

価格も大切だろうけどクオリティーにも注目をしてもらえる会社。

少し高くても、若しくは、ほぼ同価格帯であっても、クオリティが維持されること。

当たり前のことを当たり前に、ずーっと続けることに意味があるという、それが持続できる会社。

満足のいく提供を一度や二度やったから、いつもやっていると言い切るのではなくて、それをずーっと続けること。

理想論みたいですが、そこの御苦労に対して、荷主様やユーザー様はありがたいと感謝してくれる。

 

この話を聞いて、別にいつもやっていることだから何とも思わないよ。当たり前にクオリティにも意識しているよ。と言える人もいるかと思います。

高い水準で、普通に、当たり前にできるよ。実践しているよ。

という人と、ここ数年で初めて聞いた人とでは戸惑いもあるでしょうけど、無理なことは言っていないと思っています。

そのクオリティーの演出をされるのは、実際に燃料油に触れる皆さんです。

納入先への進入の仕方、速度、徐行しているか、地域のお客様予備軍である歩行者さんが、安心して歩道を通行することができているのか?

威圧感のある大きなタンクローリーを目の当たりにして、「こんなに大きな車なのになんて乱暴な運転をするのかしら」と思われてやしないか?

そういう風に思われてしまっただろうなと、店主や新規進出をした事業者が訝しがってやしないか?

冒頭、安全会議は荷主様、ユーザー様の為というのも正解なんですけど。と濁して言いましたが、ドライバー教育12項目という安全会議をすることは最低限の国との約束なのであって、安全の話もしつつ、なぜやらないといけないのか、やらないとどうなるのかということを伝えて、荷主やユーザー様に提供する付加価値というものの、こういった理解が無く、あまり深く考えずにした行動が、自分だけではなくて、同僚の仲間にも影響をすることがあると知っていなければ、予防のしようもないですよ。

そこに危険があるって気付いていないのなら、用心する人はいないですから。

道徳的にやった方が良い。しない方が良い。も大切な価値観ですが、労働の対価を得ている、我々の仕事は、道徳よりももう一段上にある倫理を意識して業務に従事すべきと考えます。突き詰めれば、安全に対する考え方に及ぶのですが、*安全の先にあるモノを毎度のように発言するので、勘違いをされた人もいるかもしれませんが、*「個の尊重」も「倫理」も仕事にあたるときの我々の精神衛生上、とても大切なことだと思っていますので、繰り返し言っているものです。

こうやって捲し立てて言った言葉が、どれほど人の心に残るのかは不明ですが、繰り返し伝えることは、洗脳と呼ばれるかもしれないけど、意識に涵養させるには不可欠だと考えていますのでご理解ください。