2022.3. https://youtu.be/WUIWz_BdVho
2022.4. https://youtu.be/W19UjkggYb4
振り返りの話
この間、とある人とお話を聞く機会がありまして。
話をしていくうちに、アレ?おかしいな?
この話は前にもしたんだけど。
ああ、動画で言った話だ。
確かに動画で言った話でしたが、東大を首席で卒業された山口真由さんも勉強をするときは七回繰り返すと言っていますし。
一度聞いただけのことが、長く記憶に定着するのは、よっぽどのインパクトある出来事が同時にあったというような特別の状況か聞き手に天賦の才でもない限りあり得ないことなのだと考え直して、お話をしました。
これからするお話は実際に過去の動画でお話した内容なのですが、先に述べた理由から繰り返してお話しするものです。
今回の内容は
① 趣味趣向は皆違う
② 考えただけでは正解とは言えない
③ 正しい努力と方向性
④ 今と昔
⑤ 5年後、10年後
⑥ 集団での役割
⑦ 選択と結果
①趣味趣向は皆違う。
考え方は人それぞれ、育った環境や、周りにいた人たちの影響を大きく受けます。
価値観も然り。
反面教師になる人がいたおかげでといった場合や、自身が反面教師に相当するという人、
そもそも反省なんかしない人、いろいろです。
与えられた環境に不満を感じても、基本的には誰も助けてくれませんから、環境を問題にするのではなくて、その環境で自分はどうするのかといった考え方が必要になのかな?と。
言うは易しですが、自分で気付くことはとても難しいですね。
自身の経験からも年長者が言っていたことなんて聞いたそばから右から左。
あー、はいはい。
それでおしまい。
で、あとで気付く。
あの時、あの人はああ言っていたな。
なんで、俺はそうしなかったんだろう。
いつも後悔ばかりでしたね。
やらないよりはやってする後悔の方が良い。という人もいますが、考えなしにやることは能動的、衝動的、本能的なのであって、平成、令和の時代にはそぐわないのかな?
②考えただけでは正解とは言えない。
考えたことのすべてが正解、すべてが叶うのなら絵に描いた餅が現実となって、どんどん裕福になります。
そして、答えが一つだけであれば、その答えに辿りついた者で、地域と時代の条件を越えてさえいれば皆成功します。
でも、そうじゃないですよね。
繁栄する会社、そうではない会社。
口うるさい会社、そうでもない会社。
「考えること」は・需要・手段・資本・時代について検討をする必要がでてきます。
需要とはニーズ、人の求めるもの。
そして、お金を払ってでも欲しい価値あるモノですね。
集団の中でニーズがある、価値があるから人はお金を出してモノやサービスを買うのであって、どこにでもあふれているモノやサービスなのであれば、言い方は悪いですが、価値は低いです。
人が必要とするもの。それを提供することに価値があるという考え方でも、それを選ぶのは相手であるという基本を忘れてしまった独りよがりの提供は、価値ある提供とは言えなくなります。
課題の分離という考え方を伝えたことがありますが、提供するのはこちら。選ぶのは相手。
相手が何を欲しているのかを予測する経験と、それを実行できるヒト、実行をした行動により高い価値があると言ってきました。
何が欲しいか知っているだけではダメなんです。
経験上の予測が必要でも、予測したことを実践できる意志の強さが必要。
知っているけど、提供することが困難である。だから、そこに価値があるという考え方。
やって当たり前、出来て当たり前のサービスや提供に感動は少なく、より高い価値、付加された価値は認めがたいですよね。
俺やってますよ。のやっているが、自分本位なものの考え方ではなくて、相手の身になって、経験上、このようにしたら喜んでくれる、感謝される。
そういうことをやって欲しい。
人はモノを考える生き物です。
自分のした行動が価値あるモノだったのかを検討することができますね。
モノを考えるとは、モノを作ることが出来ることでもあるし、人の気持ち、思うことにも考えを巡らすということです。
犬猫、畜生が本能的に、お腹がすいた、世話をしてもらって嬉しい。と感情の出ることはあっても本能的、能動的な感じ方、仮に考えているとしても人のそれとは大きく異なります。
思考というのはヒトだけに与えられた進化と向上をするための能力ですから。
だから、ヒト以外に繁栄している生き物ってないですよね。
窓の外を見てください。
自然物の草、木、花、川の水、生き物以外、全部ヒトが作ったものです。
③正しい努力と正しい方向性。
ヒトだけが特別だと言いましたが、考えたという事実をもって、すべてが正解になるわけではないと言いました。
考えることとは「正しい努力」を、「正しい方向性」に向かって適切な行動を選択して、その必要性を考える、知るということです。
手段、方法は、正しい努力と正しい方向性に係ってきます。
資本は、正しい手段、方法、正しい方向性のあることが前提になるけれど、考えたことすべては、行動を起こすまではあくまでも机上の空論。
選択した結果が実るまでは絵に描いた餅でしかなく、本当に私の考え方に価値はあるのか、需要はあるのか、そのためのマーケティングではあるけれど、人に伝える、提供するときには、より大きな効果、効率になるように試行錯誤をしていきます。
PDCAサイクルの話ってありましたよね。
計画をして、どのように実行をして、結果の検証をして、もう一度アクションをする。
資本がある会社は、何べんでも繰り返すことが出来ます。
ですが、日本の会社の9割以上が中小零細企業であることを考えれば、湯水の様に潤沢な資本で検証をしているとは考えにくいです。
中小零細企業は皆、正しい努力と正しい方向性で検討してえいると考えるのが自然ですね。
経験がない人、初めての人は、先人の意見を聞いたり、文献を漁ったり。
一般的に私たちの手元にある本は、著者の半生での研究、経験をもとにしているのですから、出来上がるまでに必要な知識量は何十年分もの研鑽の結果であって、細部まで読み解くことで、著者の人生を疑似体験することも出来得ますね。
だから、年長者たちは本を読めって言っていたんですね。
考えたことがオリジナルであれば、独断場となり得ることも可能ですが、リスクを伴うことを考えれば、二番煎じでも良いんです。
著作権や特許という問題をクリアできればの話ですが。
似たモノってすぐに出てくるでしょ?
でも、すごい発見をしたと思っても、すでに同様の書籍が出ていたりしているのが現状です。
著者が違っても、似たテーマの本を読み進めると、結論は一緒ということが結構あります。
④の今と昔では、時代と需要とが係ってきますね。
切り捨て御免の時代と今とでは大きく時代と価値観が異なります。
人権が認められているから、自分は大事。でも人も大事。
そこの衡量、計り方が必要になるから、国は国民に対して規制、制限をしてるんです。
国に保護されているともいえるけれど、国に制限をされているロジック、憶えていますか?
人は自由である。だから人権で自由を保障してくれているんです。
でも他人も人である以上、同じく大切である。
他人の人権も保護すべき対象である。
日本が経済活動をしていくうえで。人に危害が加わらないように職業に対しても規制をしているという話がありましたね。
職業選択の自由はあるのだけれど、誰でも医者になれるわけではない。
ブラックジャックにはなれないんです。
職業運転手も、集団社会の中で需要があるからモノを運ぶという分業が成立するのだけれど、過重な労働を強いることで、便利なトラックが凶器にもなり得る。
トラックによる死傷事故によって他人の人権(公共の福祉)を侵害してしまった。
そうした事情から、規制をかけて安全な労働環境を整備しなくてはならなくなった。
集団の中で需要があるから、誰かが分業をしてモノを運んでくれるのだけれど、危険な道具を使うことから、長い時間働かせられない。
だから、国は危険物と大型運転免許証と安全に対する意識付けを義務付けて、安全性を担保させている。
でも誰かがやらなくちゃ、今の生活が成立しない。
だから、この仕事をしているんですよね。
この時代での働き方、価値観と需要。
安かろう悪かろうは成立しなくなってきています。
短期的にはあり得ても、長期には成立しないです。
メディアの発達に伴い、国も不法行為や違法ではないけれど、他人の人権を侵害しかねない非難されるような就業状況は野放しに出来なくなってきました。
我々が被害者の立場になったときに、国は何もしてくれていなかった。国の怠慢だ。
国家賠償請求だって考えるでしょ。
時代に合わせて国は動いています。
⑤ 5年後10年後。
会社(職種)の繁栄とその後
いつかは天井、頭打ちが来ます。
300年前の手段は現在も使われているか?
我々の生活において衣食住は欠かせませんが、衣食住の中身に変化はありませんか?
着るモノ、食べるもの、住むところに係る細部に目を向けると、集団の中での分業がどのように変わってきたのかが窺い知れます。生活環境の充実とともにユニクロの発展やコロナ禍による飲食の方法、少子高齢化を見据えた住環境サービスの在り方。
生き方にも、長命であることと対極のQOL(クオリティオブライフ)という考え方。
国民の成熟具合によっては、QOLなんて国の怠慢だと憤る人は今よりも多かったと思うのです。
介護の困難さが、広く知れ渡り、介護疲れによる悲しい出来事がメディアに流れ、判例が作られて。
石油メーカーの再編で日本を代表する大企業、ENEOSができました。
石油メーカーの再編によるシェアの確保と精製能力の効率化から、製油所の統廃合が進みました。
このENEOSであっても、代替エネルギー、海外への進出をしています。
SOFTBANKでは、通信事業以外の他分野との合併も行いました。
海外に進出できない、輸送以外の他分野への進出の可能性、それによる職種の変更。
変化に困難、苦痛は伴います。
人は経験したこと、訓練をしたことは容易に反復するとはできますが、初めてのこと、訓練が必要なこと、専門的な知識が必要なことには相応の時間と準備(資本)が必要になってきます。
⑥集団での役割
より詳細にものを考えるならば、慶応の経済学を専攻した、うちの社長という心強い存在と現場の経験、皆の置かれている就業環境を知っているドライバー上がりの三石の二人で検討しています。
他の人ができないこと、知らないこと、知っていても出来ないこと、知っていることを実践することの価値。
皆が全員同じ事が出きたなら、運転職も事務職もローテーションが成立するかもしれないけれど、資本を入れた株主や、国の規制を考えたときには分業による提供に専門性や練度の高度化が期待できます。
日本中、世界中が分業してます。
一部企業の一部役職では、スペシャリストよりもゼネラリストという考え方もあるようですが、それはほんの一部に限ったお話です。
被害者のことを軽んじて発言することも慮れますが、選択と結果を考えたときに、今の我々の置かれた時代や環境も必然だった。
でも、痛みを伴いながらも、そこまで世の中が成熟してきたと考えたい。
⑥選択と結果
職業ありきの現在の生活環境に、身を投じなければならないのは、この時代だからとも言えますが、その環境に今自分がいるのは、今までの自分の選択の結果であるという大根大本は忘れずに。
「誰々というヒトが」とか「環境が」と言っても誰も助けてくれません。
中には一緒になって、そうだそうだと、まるで理解者かのように、同情という体で思い悩んでいる人をさらに深みに嵌めていく人がいます。
そこまで考えてしたのかはわかりませんが、本当にその人のことを考えるのであれば、同調をして深みに嵌めるのではなく、同調はしても、悟らせてあげるくらいの気概で声をかけてあげてください。
知ったら、どうってことは無いロジックでも、知らない、気付かない、誰も教えてくれないと言うナイナイ尽くしでは、あまりに不憫です。
そうだな、でも、こう考えてみろ。とか。そうは言ってもな、自分一人の世界じゃないんだから。とか言いようはあると思うのです。
友達だ、仲間だ、と気遣いをすることが出来る人の前に、思い悩んでいる人がいたら、声をかけてあげてください。
職場は学校ではありませんから、箸の上げ下げから教えてくれるということは中々ありませんが、同じ時代、同じ地域に、同じ職業についた縁あっての仲間です。
そして同僚たちが苦しんでいたり、不満に感じていることがあったときに、何気なく相談に乗れるのも同僚であったりします。
ヒトを導こうとしても、それには新人ではダメなんです。
普段の振舞を見て、ああ、あの人が言うのならやろうかな?と納得がいったり、
そうは言っても、あの人だって、いつもやっていないじゃないか!と不満に思ったり。
そうは言ってもよ、、、と話をしてくれるから聞く準備が出来るのであって、同じドライバー出身の三石が言っても、届かないことって多々あると思うのですよね。
中には、同じドライバー出身なんだよなと、声に出して言ってきた人もいますが、事務方の面倒くさいやつと思っている人からしたら、受け付けられないでしょうね。
古参であって、しかも人の嫌がる仕事であってもやれる人。やってきた人。
そういう人、同じ仲間だと思ってもらえる人たちに班長をお願いしています。
いつかわかるときがきても、それは今じゃないかもしれない。
もしかしたら、一生分らない、気付かない、分かり合えないかもしれませんが、真理というか、大根大本は同じだと思うのですけど。
若いときに、上司から、お前はなんのために働いていると聞かれ、飯を食うためだと答えたことがあります。
とても残念そうな顔をしていたし、残念な回答をしてしまったと今では思いますが、その時は本気でそう思っていました。
住むところ、飯を食うお金を安定して手にするために、仕事をしていました。
友人知人もいない町で、今この状況の中でどうするのか、どうしたいのか、どうして行けばよいのかを考える時間はたくさんあったけれど、誰も教えてくれませんでした。
転機となるのは何かの拍子、縁が必要だと思います。
知って深い理解があって、、、
この動画をその機会になったら嬉しいです。