安全運転と積み込みパトロールの重要性

 

指差呼称と取り組む態度 2022.10.11
https://youtu.be/AzsHwrRpuxk

めっきり朝夕が涼しくなりました。
風邪などひかないよう、お気を付けください。
引き続きの安全運転をお願いいたします。

体調不良で動画の準備が半月以上遅れました。
今月の動画視聴のサインが無くても、安全活動への参加の有無について不利な評価はしませんが、視聴をされた方は、いつもの署名をお願いします。

さて、一年を通じてやっている製油所等での積み込みパトロールついてです。
いつもやっているパトロールではありますが、これから繁忙期を迎えます。
危険物を取り扱っている我々ですから、乾燥して静電気が発生しやすい繁忙期を迎えるこのタイミングで荷扱いについても一考をする機会にしてみましょう。

充填パトロール時に奨励されている充填の仕方について、皆さんはご存知でしょうか?
良く出る指摘なのですが、指差呼称の他、機器の取り扱いやハッチ蓋の開閉など丁寧な作業が求められるこのとの理解や、実際に実演が出来ているかといった意見が出ます。
こういったパトロールは充填場において模範的な作業が出来る人であれば、普段の長時間の車両移動や納入先での荷卸しであっても同様のことが出来るだろうと推測することが出来ますから、私という人間性を演出、アピールをする良い機会になりますね。
こんなことをやっても無駄だよ?ともし思われている人がいるのなら、それは大きな間違いであると、この場ではっきりと宣言します。
無駄じゃないです。
安全な荷役に係る活動に、積極的な参加が出来ることは、その人の安全意識の高さと協調性という面でも良い演出材料になり得ます。
実際に何人もの人が集まって開催されるパトロールですが、安全な荷役の演出がされないとき、見ていた側がどのように感想を持つか、少し考えればわかると思うのですが、もったいないですよ。
丁寧な作業が求められることから、通常の荷役とは工程も作業時間も多くなりますが、安全に対する積極的な取り組みを演出しているのに悪く言う人はいないですから。
どっちかと言えば、褒められる方ですよね。

 

積み込みパトロールをして、各運送会社の所長さん達の講評を聞くようになって知ったことがあります。

自分が乗務をしていた頃には、ありがたいことに優良乗務員表彰をしてもらえたことがありましたが、自分が知っている、かつ、やっていた充填方法は決して完成されたものではなかったという事です。
表彰はされてはいたけれど、決して十分と言える程のレベルではなく、おまけ程度の評価だったな。と思い至ることとなりました。

出庫して製油所について時点で、パトロールが実施されていることはステージを見れば一目瞭然です。
最初のドア閉止ヨシ!からある程度の声量で発声をしないと、メリハリのないナァナァな充填作業に終始してしまうことと想像がつきますから、意識をして発声していたことを思い出します。
それでも、まだ足りなかったんですね。

他の人の積み込みを見ていると、わかるんです。
しっかりと質の良い教育を受けたドライバーさんの充填作業と指差呼称は当時の三石がしていたものよりも数段優れていることに気付きます。

ただ声を出せばよいというものでもなく、安全な作業、機器の取り回し、指差呼称を見せることで、そのドライバーさんが、どれほどの取り組む態度であるかがわかるんですよね。


残念ながら、自分が充填をしていた頃は、何故パトロールがあるのか、正しい指差呼称の仕方、奨励される機器の取り扱いとはどういうものなのかを深く理解しておらず、また考えてもいなかったです。

同じ作業をするのでもその作業にどういった目的があるのか、どこに着目すべきなのかを知っているかで、作業の質が大きく変わってくることは理解してもらえることと思いますが、自分自身はそういった考えはなく、ただ低い評価をされることや、できないと思われることが嫌だったという単純な発想で、自分なりに出来る充填をやっていた。
ただそれだけでした。

 

人の作業を見る、講評をするようになって、どのような充填が奨励されて、どのような作業、行動が指摘されるのかを知ったことで、いつでも再現できるように頭の中で繰り返し、たまのパトロールに遭遇するときには、「シメシメ、おいしいな」と思って実演をしてみせていました。
偉そうに言っていて、実際にはできない人はきっといます。
偉そうに言いつつも、実際に荷役をしたときに体現して見せることが出来るのかどうかで印象や結末がかなり違います。

言ってるんだから出来て当たり前だ。と思うかもしれませんが、知っているのと体現できるのとでは違います。
相応の練習をしないとできないと思います。

ただ誤解しないで欲しいのは、指導する側が出来なくちゃいけない訳ではないという事です。
現役の一流選手よりも監督、コーチがの方が上手いは理想かも知れませんが、常に指導側が上手であるという事になりますから。
世の中の指導者には、業界とは違う分野から来る人もいます。
違う分野から来た、幾つもの分野で成果を出す指導者というのは、人を導く方法を知っていたり、指導し続けることが出来る人という事もあります。

そもそも、やって見せろと言う人は、荷役の演出に自信のない人、皆の前で大きな発声と指差呼称をする事が恥ずかしいと思っている人で、相手にそういったものを求めがちです。
やって見せろと要求をして、相手が見本を見せない、実演しないことを自分がやらない理由にする。
やれないことを求めるなと自分を正当化することに躍起になっているんだと思いますよ。
皆さんの中にも思いあたる人はいませんか?

自分はありましたよ。
偉そうに言うのだったら、やって見せてくれって。
人前で間違えたり、うまく出来なくて笑われたり、出来ないことを認めたくないから、やりたくないんですよね。

ただ、この会社に入ったころの自分は人を導くことはおろか、模範というにはお粗末なレベルでしたし、自分が出来ないことを人に求めたときの反発は良く知っていましたので、鹿島石油や出光興産の東京油槽所に入るようになったころは、単独積み込みの許可を得るために、何人かに実演をして見せました。
やって見せないと人はついてこないと思ったので、必死でした。

鹿島に一緒に行った人たちからは、三石は管理者なんだからやらなくていいんじゃないの?って言ってくれたり、他の油槽所では、三石の実演をやってるやってるみたいな感じで笑っていたり。
実演をしたときの反応は人によってマチマチでしたね。
そのことから、周りからの冷やかしを気にして、やれない人もいるんだろうなという事で、合同での練習はしないで個別に積込の立ち合いをするようになりましたけど。

余談ですが、個別に見せたり聞かせた作業よりも更に優秀な実演をする人が何人もいたので、そういう人については、今後、偉そうなことは言わないようにしようと思ったことも覚えています。

7年前には残念ながら通じなかったのですが、仕事に取り組む姿勢や誠実な態度が人を判断する基準になりやすいという事は、再三、動画で伝えてきたので理解があるのと思います。

10年前のパトロールの講評時に、とある会社の所長さんが三石君とこは倉取りの会社だから、この程度でもしょうがないよね。みたいなことを言われ悔しい思いをしたことを覚えています。
作業に自信のない人もいるかもしれませんが、出来るのにやらないというのはある意味、悪質です。
三石みたいに他の所長さんたちに所属会社を見下されるように言われたり、10年、20年と培った技術があるのに、非協力的な作業をすることで同じ会社で一緒に働いている同僚の評判にも影響が出てきます。
同僚の評価も下がることを考えれば、実演できる技術があるのなら、やって見せてください。
遠慮すること無いですよ。
いい子ぶりっこして表彰されればいいじゃないですか!
表彰式に着ていく服をあつらえるのが大変だとか、そういった理由なら表彰式を辞退しちゃえばいいんだから。

そもそも、その人の行動というのは、木で言うところの葉なのであって、大根大本の根であり幹にあたるのが、その人の考え方や価値観ですから、大根大本の醸成が第一なんだけど、人から良く見える、客観的な判断がされる安全活動への参加、取り組む姿勢、実演という行動(枝や葉)にご協力願います。


以下に指差呼称の概要と手順、効果について参考資料をコピペしました。

指差呼称
1 概要
KY(危険予知)活動の一環として、作業対象、標識、信号、計器類に指差しを行い、その名称と状態を声に出して確認することです。業界や事業場により、「指差(確認)喚呼」、「指差称呼(唱呼)」とも呼ばれています。
元は、日本国有鉄道の蒸気機関車の運転士が、信号確認のために行っていた安全動作でしたが、現在では鉄道業にとどまることなく、航空業、運輸業、建設業、製造業等、幅広い業界で行われています。
人間の意識レベルを5段階のフェーズに分けた「フェーズ理論」によれば、対象を指で差し、声に出して確認する行動によって、意識レベルを「フェーズⅢ(脳が活発に動き、思考が前向きな状態)」に上げ、緊張感、集中力を高める効果をねらった行為とされています。
2 指差呼称の手順
一般的に、「指差呼称」は以下の手順で行われます。
1. (1)対象をしっかり見る
2. (2)対象を指で差す
o 呼称する項目を声に出しながら、右腕を真っ直ぐ伸ばし、対象から目を離さず、人差し指で対象を指差します。
なお、指を差す際、右手の親指を中指にかけた「縦拳」の形から、人差し指を真っ直ぐに突き出すと、指差しが引き締まります。
1. (3)差した指を耳元へ
o 差した右手を右の耳元まで戻しながら、「本当に良いか(正しいか、合っているか)」反すうし、確かめます。
1. (4)右手を振り下ろします
o 確認できたら、「ヨシっ!」と発声しながら、対象に向かって右手を振り下ろします。
また、(1)~(4)の一連の動作は、左手を腰に当て、背筋をピンと伸ばし、キビキビと した動作で行うことが奨励されています。

 

 

3 指差呼称の効果
1994年、財団法人(現、公益財団法人)鉄道総合技術研究所により、効果検定実験が行われました。同実験によれば、「指差しと呼称を、共に行わなかった」場合の操作ボタンの押し間違いの発生率が2.38%であったのに対し、「呼称のみ行った」場合の押し間違いの発生率は1.0%、「指差しだけ行った」場合の押し間違いの発生率は0.75%でした。
一方、指差しと呼称を「共に行った場合」の押し間違いの発生率は0.38%となり、指差しと呼称を「共に行った」場合の押し間違いの発生率は、「共に行わなかった」場合の発生率に比べ、約6分の1という結果でした。
また、2010年、広島大学大学院保健学研究科による研究論文「確認作業に『指差し呼称』を用いた時の前頭葉局所血流変動の比較 」が発表されました。この研究は、医療現場における確認・観察の怠慢、誤判断を回避する手段として「指差し呼称」の有効性を検証する目的をもって行われました。
同論文によれば、「『指差し呼称』法のほうが、『黙読』法、『指差し』法、『呼称』法よりも前頭葉におけるHV(前頭葉における血中酸素化ヘモグロビン変化量)が多かった」、「『指差し呼称』法が、『黙読』法とでは左前頭前部、『指差し』法とでは、右前頭前部において認知機能の活性化が図られている可能性が示唆された」、「これらのことから、与薬(薬を処方すること)の準備段階においてなされる作業の確認方法として、『指差し呼称』法の有効性が示唆された」と結論付けられています。
指差呼称だけでヒューマンエラーの根絶を実現することはできませんが、上記の実験、研究から、指差呼称は、「意識レベルを上げ、確認の精度を向上させる有効な手段」であるといえます。

 

 

 

 

 

 

 

根や幹にあたる日々の日常をどう見ているか?どうあるべきかという一見、人からは見えない考え方は、主観的な現実なのであって、振舞ったその人の行動や態度が客観的な現実になっています。

職業運転手の経験は、わずか10年足らずでしたが、コレコレこういう理由でやった方が良いのだよと教えてくれた人は記憶にないです。
言ってくれた人もいたんだろうけど、憶えてないんですよ。
それぐらい、右から左に聞き流しちゃったのかもしれません。

モノを伝えて、チームを導くより自分一人でやった方が楽なんですよ。
全体の成果は少なくなりますけど
しかも、一人勝ちできますからね。
周りがやらない、できてないのに、自分は出来る。
良い意味で目立ちますよね。


それと、反面教師にしてもらえたらなと思うことで、立ち位置で物事の係わり方は変わるので、「ローリーの仕事」も役割や経験で携わり方が違うのは当然なのですが、事務職の仕事っていうのは、人との関わり方や成果の出し方という点で求められる能力があるんですよね。

実際、運転手から、運行管理者として事務所に上がった際に、自分のする仕事の内容が具体的にイメージすることが出来ず、もちろん事務職としての経験の無かったことが大きな要因なのですが、具合を悪くして運転手が出来ない私という労働力がとても脆弱な存在であったことを思い知らされ、悔しい思いをしてきました。


運転職が悪いとは言うのではないです。
自分が動かないとトラックも動かきませんから、重要な仕事です。
ただ、一人でする経済活動には限界があるということです。
体一つにトラックも一つという環境では、どんなに勇んでも、一度に2台以上のトラックを動かすことはできないわけですから、あとは作業のスピードと事故が起きないこと、苦情が上がらないこと、理想を言えば顧客満足や効率というものに焦点があてられます。
(ひとりで2台分の売り上げを作るのは困難でも、2台分以上の利益を出すことは可能)
身体を壊した、運転手が出来なくなりそう。
そうしたときに、目に見える著しい成果や実績があれば、様々な交渉が出来るかもしれませんが、それにもまして使い辛いと判断されると、自分の身分がとても不安定なものになります。
いくら法律が整備されて不当だと思うことがあっても、違法若しくは、著しく不当でなければ国は動いてくれませんから。

普段の仕事に取り組む誠実な態度、姿勢があれば、日本という大きな集団に影響は与えることは困難でも、経験した職業の一部の組織であれば影響を与えることも可能です。

こういう話をしても余計なお世話だと受け止められてしまっては、元も子もありませんが、自分が困ったときに気付くでは遅いですからね。
ましてや、ネガティブキャンペーン真っ最中だったとしたら尚更です。

なので、そういった環境に身を置かないためにも、優れた人間性、人格を持って大根大本を醸成していきましょう。
程度の差はあれ、才能や経験、学歴といった評価はついて回りますが、経験や学歴は、当人の頑張った結果ですから。
相応の評価のあることの方が公平なんです。
多少の運という要素はあっても、100%、運だけで物事を進めることは出来ないですから。
反論があるかもしれませんが、個の尊重という話も、広く一般的な社会常識の上に成り立っていると思っていますので。
知らないこと気付かないことは予防の使用もないことなので、繰り返します。
一つ言うことの十を知れとは言いませんが、「言われていたのだけど、でも、やり過ごしてしまった」ことで不本意な結末にならないように。
知らないよりも、幾度も話に出ていたのにやり過ごしたときの後悔は大きく、ややともす
ると自分が責められているかのような感覚になるかもしれません。

人生60年?80年?
労働を求められる期間が伸びてはいても、若いころのように活動できるとは限りません。
永年勤め上げて習得した経験や技術を積極的に同僚や後輩に伝えるっていう活躍の仕方もあると思いますのでね。
漫然とやり過ごしてしまったと後悔が無い様に努めていただけたらと思います。