安全な運輸業務と誠実な職業意識の重要性

 

2020.12 https://youtu.be/LfyDT7XJimY

はっきりとした心持 2

 

以前、所属感という概念をお話ししました。

人は一人きりで社会生活を送っているわけではないって話です。

人との交流は避けられないのだから、選択する職業も否応なしに何かしらの干渉を受けることになりますが、極力、人とのかかわりを持たないように、穏やかな環境でいられる職業を選んでいる人もいると思います。

今は、ねじり鉢巻きをまいて、ハンドルを握るような時代ではありませんので、会社によってはネクタイをしているようなところもあります。

これは見た目の印象を意識しての対策だと思いますが、パリッとした着こなしをすることは自身の歩き方や振る舞いもきっちり、はっきりとするのではないだろうかという思惑も感じ取れます。

そういった考え方に対して、やらないよりはやった方が断然良いだろうなと思います。

このネクタイとかの対応については、製油所等での機器の取り扱いという観点からも採用には至りませんでしたが。

会社のブランド力を上げよう、やろう、みんなで頑張ろう、と語っているのに、具体的な方法、行動が取れなかった。

実行に移せなかった。

それができなかった。ということも多々あったかと思います。

 

「できなかった」ということは、やればできるの反対ですから。

やってもできない。事情を知らない人からしたら無能の証明ともとられかねないわけです。

そこの解釈ですが、ここは大切ですよ。

やったけどできなかったじゃないんです。

努力が足りなかったんです。

三石は、何かをやろうとしてできなかったときに、やったけどできなかったんじゃなくて、努力が足りなくて出来なかった。と思うようにしています。

そして、無駄な努力に終わるのは嫌なので、本気でやります。必死にやります。

自分のためにやります。

学校に行っていたころは適当でしたけど。

泥臭い、面倒くさそうな話になってますが、大丈夫です。安心してください。

三石だってぼんやりしてますよ。

たまに会社に行く道間違えますから。

ダメなの、集中力無いから。

好きなこと以外、集中してできないの。

さて、はっきりとした心持で仕事に取り組む、以前言った言葉に言い換えれば、誠実に仕事に取り組むために、どういうことをやるべきなのか、取り組めばよいのかを考えます。

あーしよう、こーしようって動機、目的、対処の仕方についてです。

こういった動機、目的、対処の仕方が、個人的な目標になるのですが、特段の意見は出てきていませんでしたから、不明確なまま、若しくは、ざっくりとただ「ガンバル、ジコヲシナイ、キヲツケル」といった表現に留まってはいやしないか心配になったところです。

ただ漫然と頑張る、事故をしない、気を付けるだけだと、注意のしどころが漠然過ぎて、集中すべきところが蔑ろになってしまっちゃいないだろうか?

どこかのアニメみたいに全集中って出来ればよいですけど、人は24時間ずーっと集中なんかしていられやしないですから、メリハリが必要だと思うわけです。

 

このメリハリのある集中をするために、危険予知といったトレーニングがあったりします。

具体的には一日の中で、とある一場面一場面を思い浮かべ、これは、車に乗るところであったり、充填場で積み込み作業をするところであったり、お届け先で着車をしようとしている場面であったりを思い浮かべ、その時、その場所でどのような危険があるかの予測をする。想定される何々~かも知れないといった自分の置かれた環境、状況を具体的に詳細に思い浮かべることでその時その場所での適切な行動を予測する。予定する。事前準備をしておくことです。

 

その心に浮かんだ自分が、どのような振る舞いをしているのか、あ、荷役時に油種を誤るわけにはいかないから、荷下ろし確認書に従って注意深く、次に下す油種は何番ハッチのなんていう油種を何番の地化タンクに何KLおろして、タンク容量に対して、予定数量が何KLであるから、規定された容量に収まっている。と確認をし、荷卸しが始まったときには油面計の作動が正常であって通気ベント状態にも異常はうかがえない。

また荷役中の自車ローリーの近辺には火気等の引火爆発を伴うような機器の使用が無いかどうか?

注油口周りに既に漏洩等の油溜まりが発生しており、このままの状態で荷役を開始することは、この油溜まりを発生させたのが自分であると誤認されやしないかといった結果の予測をしてみる。

であるならば、立会者様に挨拶をした際に「立ち合いをお願いします」と明確に問いかけていた方が良いのではないか?

これは、相互立ち合いが正解ですから、厳密にいうとNGなのですが、実際の現場ではといった事情で、あえて任せるよといった言葉がいただけていたときに、これは運転手さんなら、慣れているだろうし、安全に適切に荷役を行うことができるであろうから、あなたの職業、能力に期待をして任せるよと言ったのであって、その期待を裏切ることが無い様に、自身の行動に過失が発生しないように、立会者さんとの関係が損なわれることが無い様に、誠実に職務に取り組む。

そういった観念で取り組んでいただろうか?

振る舞いができているだろうか?

振舞う心持を既に持っているだろうか?

汚された、汚していない、最初から汚れていたといった水掛け論になることが無い様に。

だったら、最初から、キチンと立会してくれよと相手方のせいにするのではなくて、自分としては、何ができたのかを事前に想定していて、想定外のことであっても、その場で選んだ行動がどういた結果を導くのか予測をしてみる。

思い考えることが我々のプロとしての心持ではないのだろうかと偉そうに語ってみました。

 

さらに言うならば、お客さんからの感謝の御言葉をいただけている様子を思い浮かべてみてください。

なんで感謝されているのだろうか、お客さんに身になって、お客さんの立場であったら、どのような技術の提供があったときに喜んでもらえるか?

普段、自分のどんな言動にお客さんは喜んでくれているのか?

きれいなローリーでお届けに上がったことなのか、きれいな作業着、身だしなみ、言葉使いに、きっちりとハキハキとした挨拶なのか?

あ、この会社さんの運転手さんはしっかりとしているな。

感じが良いな。雰囲気が良いな。

暑いのに、寒いのに、てきぱきと仕事をしてくれて嬉しいな。

見ていて気持ちが良いな。

ご苦労様って気持ちから、缶コーヒーをくれる。

お茶飲んでってよと言ってくれる。

そういう自分を思い浮かべてみてください。

出来るだけ詳細に。

ただ何となくだと、誠実に仕事に取り組む態度や、思いは信念にはなってこないでしょうから、この思い浮かべる工程を蔑ろにしないで、しっかりと思い浮かべてください。

ちょっと離れたところに自分がいるように、もう一つの意識が自分を見ているような感覚で(図を参照)

離れたところから、自分を見ている自分の意識は、自分の姿を見てどう感じていますか?

どういった振る舞いをしていて、気持ちよく挨拶をしていますか?

 

ざっくりと思い浮かべることがダメとは言わないけれど、より詳細に浮かべる方がこうきたらこうする、あーなったらこうする。という事前の心の準備ができていて、そういった心持でいられれば、その時、その場所で、思い描いていたことと同じように抵抗なく進めると思うのですよ。

課題の分離の話で、これをしたら周りの誰々にあんな風に思われやしないかとか、誹謗中傷をされやしないか、からかわれたりしやしないだろうか?って考えることは一定程度、情報の提供はできるけれど、その情報を受けてどのように感じるのかは相手方の課題だって言いましたが、自分の行動に消極的な観念でいるのではなくて、あーいう風にした、こう振舞ったから、お客さんは喜んでいてくれていると積極的な観念でいないともったいないですよ。

消極的な観念に煩悶して必要以上に過敏に思い悩んだりするのではなく、積極的にぱっぱっぱと、やろうという心の準備があるのかどうか、思い浮かべてあれば、心がそうしようと思っているのなら、実行することは容易いと思いますが皆さんはどう思うでしょうか?

 

前日の就寝するときに、翌日の仕事のために心の準備を行います。

起床から一日が始まりますが仕事には段取りというものが必要ですので、一日の就業の終わりに、車庫で翌日の配車をみて納入先の場所、納入時間、所要時間、走行経路、充填する際に適切な起床時間を検討して、何時につけるのか、何時に会社にいるべきなのか、何時に家を出て、その為には、何時に起きるのかと考えたりしているわけです。

配車を見て漫然と、あ、あそこに行くのね~。だけで終わらせずにトラックのキャビンの隅の方に自分の視点、意識があるように、客観的に自分の姿を思い浮かべて、明日の配車をこなしている自分を思い浮かべてみてください。

あーする、こーするといった考えを、より詳細に。

 

その時の自分は何をしていますか?

天候はどうですか?雨は降っていませんか?

早朝、夕暮れにより視覚からの情報が取りづらいところを走っていませんか?

そんな中、同僚と携帯電話を使って談笑をしていませんか?

通話中は注意力が散漫になりがちです。

路上駐車をしている車の横を通り抜けるときに、漫然と走っている自分になっていませんか?

車の影から子供が飛び出さないとしても、自転車がひょっこり出てきたりするかもしれないです。駐停車した車両の運転手さんが車に乗り込もうと急に車道に出てくることもあり得ます。

経験として知っている、注意すべきところに気持ちを込めて意識を向ける。

はっきりとした気持ちで、業務について思い考えることはこういうことだと思うわけです。

明日の配車をPCに入力中の人には話しかけないでください。

配車表を書き込んでいる人にも話しかけないでください。

電話注文を受けていた人に、間髪入れずに話しかけないでください。

帰庫点呼をしている、仕事をしている人のそばで談笑しないでください。

用事が終わった人は、速やかに帰宅するか、帰るに帰れない人は乗務員休憩室で時間調整をしてください。

 

漫然と仕事をすることが如何に危険なことかを再認識して、危険を予防する為に、自身の生活、家族の平穏な生活を守るために、メリハリをもって集中したいところです。

皆さは、充填、荷下ろし、走行中と集中が必要な場面が多岐にわたっていますので、大変なお仕事です。

贖いの日々にも出てきますよね。

うっかりとした行い、ぼんやりとした意識で走っていたから、これくらい大丈夫と漫然と走ってしまったから。

そのうち、去年の話した権利と義務のことも繰り返してお話をすると思いますが、結構責任があるんだよって言いましたでしょ?

他人の生命、身体、財産に危害を加える恐れのある行為を反復継続する意思をもってするときは高い注意義務が必要になるんだよって。

そういう危険と隣合わせな仕事をしている我々は、アンテナをピーンと張っていないと

いつ加害者になるかわからないわけですから。

 

それなのに、ただ何となく、日常を適当に繰り返しているのっていうのはリセット再生ができるとタカを括っているのか?

「最悪、この会社に居れなくなっても、他所に行けばいいや」と思っているのか?

事故が起きたら、自分の体が拘束されることにもなりかねないし、よしんば、拘束されなくても、自分だけの問題じゃ済まないですから。

この会社っていう集合体の中で、事故を起こす会社としての社会からのレッテルや、顧客からの信用の喪失に繋がって行って、ひいては皆が団結して取り組んだ安全な会社、付加価値のある会社といった信用がなくなってしまう。

影響は大きいですよ。

ですので、日々の業務をはっきりとした気持ちで取り組んで欲しいと思います。

 

ナイチンゲールさんが、「思いは人を作る」と言っていたそうです。

偉そうに聞こえるかもしれませんが、日常の中ではっきりとした気持ちで過ごすことは、自分の振舞にも意識を向けることで、そういう意識、考え、思いがその人の日常の振舞、行動につながるわけですから、ただ漫然と時間を消費する、ただ運べばいいんでしょ?といった観念だけで仕事に従事する人と、注意すべきところに意識を向けられる人とは事故の発生する可能性や、お客さんからの評価、評判がどのようなものになっていくかを、容易に想像できると思います。

お客様に対する振舞によってどんな印象を持たれるのかをはっきりとした気持ちで考えられる人は、わざと転ぼうと思う人がいないように、事故を起こそうと思う人がいないように、わざと嫌われようと思う人もいないと思うわけです。

 

 

今度はキャビンの奥隅にいる自分の意識ではなく、お届け先で立会者と話をしている自分を見ている自分を意識して思い浮かべてください。

納入先の少し離れたところで、自分と立会者さんとが納入に際しての挨拶とお届け先名称と住所、納入油種名、納入数量の確認をしている。

その時の自分は、はっきりと丁寧な言葉使いで弊社に注文がいただけたことに感謝しつつ、挨拶ができていますか?

身だしなみはきっちりとしていますか?

普通にできていたのではなくて、立会者さんが、「あーこの運送会社が来てくれてよかった」「また来てほしい」と思ってもらえるような話し方をしていますか?

立会者さんが、混雑を理由に直ちにこの場を離れたいと感じられるのであれば、会話のスピードをあげ、私も協力していますよ。と感じてもらえるように振舞ってみるとか。

杓子定規にマニュアルに固執していても、マニュアルはできた時点で古いですから、その時その場所で状況は違うわけだから、臨機応変にしつつも、失礼のないように、自分にも過失の無い様に、聞くべきことは聞く、でもしつこ過ぎず、相手の身にもなって。

そんなもの知るか!これが俺の常識だ!センスの問題だ!と言われたらそれまでですが、そういったら成長はなくなりますから。

でも、我々には経験があります。

何年も、何十年もこの仕事をしている我々は、お客さん、立会者さんがこう思っているんだろうな?と気付けると思うのです。

にもかかわらず、相手方から不満の連絡が来るというのは、ただ運べばいいんでしょという観念がそうさせているわけですから、この一年にわたってした安全会議を通して、聞いてきた主体的にものを考えるという方法を使って、

はっきりとした気持ちでやるべきことをやるだけでなく、自らの意思で状況を判断し行動することを意識して「考えていなかった」や、「不用意な行動、言動をしてしまった。」

「結果を予測しなかった」ことによるクレームで、企業価値が低下しないように。

そういう結果になり得ることを考えてなかったってことが無い様に。

 

まずはさっき言った思い、心持で一日だけでもして仕事をしてみてください。

一日だけやって、すべてが好転することはまず無いと思いますが、日々の積み重ねです。

今日できたら、また明日。

明日もできたら、その次の日も。

日々繰り返しです。

昨日、できなかったことが、今日はできた。

明日はもっとうまくできる。

こういう物事の考え方、振る舞いが、ずーっと当たり前にやってきた人と、こういった安全会議を通して初めて考え始めた人とでは差は大きくなってしまっているかもしれませんが、知って行動に移していけば、開くだけだった差が止まり、場合によってはその差が縮み始めるかもしれないです。

定年まで長いですから。

65歳まで定年延長しましたから。

 

同僚の中にはお客からの評判が良く、指名をされることがある人というのは、漫然とではない、はっきりとした気持ちでこーしたらこーなると、あーしたらどういう結果が導かれるかを経験から知っているのです。

自分の子供たちだってやってますでしょ。

こういった観念を、すでに実行している人たちがいるんです。

実践をしていてはっきりとした心持で思い考えて仕事をするとどういう結果が導かれるかを知っているから、なお続けられたんです。

続けないことは、理想的な、思い描いた結果を導けないとわかっているから。

考えられるから、誠実に取り組もうと実践をしているのですよね。

まずは一日、はっきりとした心持で配車表を見つめ、どういう結果を導くことができるかを思い考えてみる。

何時に就寝し、何時に起き、会社に行き、充填場、届け先での自身の振舞を自分の姿を客観的にみられるエクトプラズマ的な霊体のような存在になった気持ちで遠くから眺めてみる。

そこに見える自分がどういう風に見えるか、危険なことをしていないか?

非難されるような、不注意極まりない行動をしていないか?

 

前にも言いましたが、この思い考えることは犬猫、畜生にはできないことですから。

そりゃね、犬猫も怖い思いをすれば、近寄らない、威嚇する。これは生存するために必要な本能的な反応なのであって、今言っている思い考えることとは意味合いが違いますから。

人間だけに与えられた権能を十分に使って、平凡な、でも平穏な日常を意識的に、向上に導く観念を持ち続けて欲しいなぁと思います。

やってもみて、すぐに結果を実感することができなかったとしても、行動したことによって、経験をしたことによって、やったことがあることなら、また繰り返すことも容易になってきます。

いいですか?

まずは最初の一歩、始めてみる、経験してみることで、きっかけを作ってください。

やって無駄ということは無いです。

始めない理由がないです。

三石が嫌いだから始めないっていうのは別にして。

策略か?はめたな?

と感じる人もいるかと思いますが、見返りがあるのならやってみてください。

極力、それに応えられるように配車も組んでいます。

こういう風にしたら、こういうことができるな?と考えながら配車を作っています。

皆に得手不得手を問わず、一律に同様の配車を提供するのではなく、利益の出しやすい、導きやすい配車です。

故意に失敗を誘発するような配車を提供しているわけではないです。

同僚と競争にならないようにもしています。

ですが、注文状況によっては苦手な、若しくは以前に期待した成果が出なかった配車を敢えてすることもあり得ます。

「苦手な配車を作った、そういった配車をしたんだから、俺は知らないよ。」

「事務所のせいだよ。」という消極的な心持ではなく、こういった時には、積極的に前回はできなかったが、今回はこの機会に誠実に取り組んでみて、やったらできた自分を実感できるように挑戦してみてみようと思ってください。

目指すゴールが順位付けをするものであれば、自分が優位に行くことで、他者が後順位に甘んじなければならないことになります。

順位による評価では、皆に平等な機会の提供がないと正確な評価ができません。

そしてグループの中での競争は一種の足の引っ張り合い、同僚のミスを期待する風潮になりえます。

そういったギスギスとした職場環境は疲れちゃいますから。

 

基本、楽をしようと思うのが普通のことなのですが、皆さんは、この会社の共同体の中の一員ですから。

一人、好き勝手をして良いわけではないです。

皆との思いを共有するには理解をしなければならず、頭ではわかっていても、自身の経験則からその歩みが、平たんではなく、苦しみを伴う道であると感じる可能性があります。

何もしないこと、する必要がないことは平穏ではあるけれど、成長できること、探求したいと思うこと。知りたいと思うことに無関心になることです。

楽かもしれないけど、つまらないと思うんですよね。

自分を満足させる行為が顧客満足につながって、そういった人間としての欲求に関連付け、取り組むことによって得られる環境があるんだと知ってもらえれば、こういったお話をする場を設けたことにも意味があるのかなぁと思います。

 

自分の行動が、周りの人に与える影響まで考えると、何もしないわけにはいかず、今回のお対話、会話でよりよい環境に導くためにも、はっきりをした心持でいることは簡単な表現ではあるのですが、いかに大切で、尊いことであるのかを認識する機会にしてもらえたらと期待して今回のお話とさせていただきました。

ご清聴ありがとうございました。