仕事に感謝する心を築こう

 

2021.8 感謝する気持ちと二重の喜び

 https://youtu.be/A5uw0ZI19sw

いろいろな仕事が世の中にあります。

我々の仕事でも化成品、石油製品、燃料油。

更にはマーク車や、倉取り車。

特大トレーラー車か単車ローリーか?

シフト配送か、日勤か?

細分化されていきます。

比較的容易に終えられる配送先と、そうではなくて、煩雑に荷扱いが必要になるお届け先とが少なからず存在します。

労働の対価として賃金を受ける我々ではありますが、割のいい仕事、通常よりも手数が多くかかるところとを区別して、人との配車の違いに不平や不満を思うことは少なからずあるのかもしれません。

自分が乗っていたときは、いい時も悪いときもあるよね。と思っていました。

ストレートに2回転の仕事であっても、150kmで走れるわけもなく、当然に時間もかかるわけですし、残業代になるのだし渋滞も致し方ないかと思うようにしていました。

 

ということで、今回は『刺激・行動に対する反応の話』をしたいと思います。

何やら、難しそうな話に感じるかもしれませんが、簡単に言えば、みんなが、今ある仕事に感謝する気持ちをもって取り組もうよ。

というお話になっていきます。

 

こどもに言って聞かせるような内容に感じるところも出てきますが、大人でも子供でも、何かをされたらありがとうという反応をするのが、ごく自然なことだと思うのですが、こういった話の中で『気づき』というものがあれば、自分を振り返る材料にしてもらえたらなと思います。

 

何かをしてくれた=感謝

何かをしてくれたというのは、対価を払っているかもしれないし、親切からの無償での行為かも知れません。

無償なのであれば、きれいな話で終わるのですが、金を払っているんだから、やって当たり前だ!!なんて主張をされるのを当然のことだと受け入れるのは寂しくないでしょうか?

 

支払うから権利があるんだ!と、金を受け取るんだから義務が発生するんだ!とか。

確かに契約としては意思の合致があるわけですから、それで成立はするのですが、やっぱりね、感謝されながら仕事もしたいと思いませんか?

 

確かに自分で選んだ仕事ですから、やらなくてはいけない。

朝から晩まで人間観察なんてしたことないですから、わかりませんけど、

お客さんも、やってくれて当たり前と感じている節もあります。

もしかしたら、そう思う人が大半かも知れません。

コンビニの店員さんが、愛想良くありがとうございました。と言ってくれるのと、どこ向いて言ってんのかわからないような御礼を聞かされているのとでは、聞いた側でも感じ方は違うと思います。

労働契約をしているから労働力の提供をするのですが、店主や経営者に代わって労働力の提供をする約束をしていて、店主に代わってお客さんと売買契約による行為をする。

その行為に付随させてお礼を言うこともオペレーションの中に含まれている。

労働契約の中でのお礼を言うという行為が求められているのに、聞いた側では受け取れる印象が変わってくると言うことがあるには理解できるでしょうか?

自分が接客されて、どっちの店員さんの方が嬉しいと思いますか?

あなたが買うために支払うお金、値段は同じなんです。

タバコ一つ買うでも、愛想良くお礼を言われた方が嬉しくないですか?
別に気にしないよ。と思う人でも笑顔で、心から、ありがとうと言ってもらえているのがわかるとき、そのお礼の言葉を聞いた自分は、「バカ野郎、ありがとうなんていうんじゃねぇ。

虫唾が走る!!」

なんて思ったりしないですよね。

あれ、この子、俺に気があるのかな?と勘違いすることはあっても、嫌いになることは無いと思うのです。

タバコ一つしか買わなかったのに、こんなに気持ちの良い感謝の言葉をもらえるのは嬉しいな。ありがたいな。と感じませんか?

きっと、その店員さんにはノルマなんて無かったと思うんです。

ノルマがあって、セールスをされて、お願いされて、特に必要もないけどしょうがなく買ったというわけでもないのに、当たり前のオペレーションの中、感謝の気持ちを込めて御礼を言ってくれたんです。

お礼を言うという、当たり前のことをしっかりとしてくれた店員さんに客の立場なのに感謝の気持ちを持てるというのは、スゴイことだと思うんです。

飲食の場でも、最後のお礼の時に限らず、接客中の振る舞いに感じるものがあったとき、お会計の後に、「御馳走様」と言ってお店を出たりしませんか?

「御馳走様」の後に、声に出してまで言うかは人それぞれですが、「御馳走様、ありがとう、おいしかったよ」と続くと思うんです。

そういうことを言ったことがあるという人いませんか?

有りますよね。

 

ただ気を付けてください。

嬉しい気持ち、楽しかった気持ちを無制限に表現を無制限で表現をすると、ニヤニヤとしたいやらしい笑顔になっていたり、ナンパだと思われることもありますから。

今までにこやかだった顔が、訝しがった顔になるかもしれませんので、こちらからの言い方にも気を付けましょう。

 

さて、コンビニだったり、飲食店だったりと場面を変えながらの例え話をしていますけど、お客さんの側である我々でも、「ありがとう」と言える環境になっていることがあるんですよね。

 

お客に対してはやらなくてはいけないという、義務的なところから、そこを超えて、たくさんあるお店の中で、うちを選んでくれた。

トイレを使う目的があったのかもしれないけど、買い物もしてくれた。ありがたいな。

受け取り方一つで、感謝にもなるし、面倒くさい、やらされているという気持ちにもなり得るんですよね。

 

そういった行為に対して感謝の気持ちで受け入れる準備があれば、自分の中で育てば、自ずと義務的に言っていた御礼の言葉が、「うちの会社に依頼をしてくれた。ありがとう。」「この依頼があって、私の仕事が成立しているのだ。ありがたい。」という感謝の気持ちで御礼を言うことになると思うんですよね。

感謝の気持ちがあるから、きれいな着こなしで、丁寧な言葉で、立ち振る舞いもキビキビと。

ありがとうございました。の後に、感謝の気持ちから「またお願いします」と自然と言えたりする人がいると思うのです。

 

ヒトですから、忙しいときと暇なときとでは仕事に対する感じ方も違うでしょうけれど、相手からしてみれば、そのような事情は関係ないですから。

 

私の依頼に対して、こういった結果があったという事実をもって判断されることが大半だと思いますから、ちょっと疲れていて不機嫌な気持ちで仕事に取り組んでいた。

ぶっきらぼうな感じでお客に対応していた。

お客さんからしたら、それが全てですから。

 

 

 

 

 

極まれに、本当にタマタマだったんです。

いつもはこうじゃないんです。

チョット虫の居所が悪くて。

ちょっと考え事があって。と弁解しても

ああ、そうなの?なんて事情を真摯に聞いてくれたりはしないと思うのです。

 

あーあ、こんな振る舞いをされちゃった。

うちのことを軽く考えているのかな。

お客のことなんか二の次なのかな。

今後もこういうことがあるのかな。

期待しない方がいいのかな。と思われたら、なかなか挽回することはできないですよ。

 

信頼関係という括りでは、二度目のチャンスは中々ないと思います。

 

それぐらい、お客さんとの対話は重要なことでもあるのですが、重要だと口では言われても、じゃあ、そのためにはどうすればいいのか?っていうのは具体的に表現をすることが難しいのかも知れません。

であるならば、感謝する気持ちをもって行動をしよう。ということに行きつくのかなと思います。

 

受け取る側の受け入れる準備、感謝につなげる受け止め方が習慣化されているか?

そのような気持ちでいてくれる人は少ないかもしれないけれど、店員さん側にいる提供をする我々が、まず率先をして、感謝の気持ちをもって仕事にあたる。

 

「俺は感謝の気持ちで御礼を言っているから、もうこれ以上、特別なことはしなくていいんだ」という発想をすることなく取り組んで欲しいと思います。

これでいいんだという発想のときは、もう十分提供をしている。これ以上しなくていい。という判断が働くと思っています。

相手がある事なのに、自分で勝手にゴールを作ってしまっていることが考えられます。

 

課題の分離の話でもしましたが、我々の提供に対してどのように受け止めるかは、相手の課題です。

相手がどのように受け止めるかを、我々は指図をする立場にありません。

 

ですが、提供を受けた相手が、どの様に判断をするのかを予想をして、自分の希望する結末になるように提供をすること、誘導をすることはできますから。

昔、バイト君に言ったことがあるのですが、『マニュアルは出来た時点でもう古い』と話していたことがあります。

こうした方が良い。

という判断も、その時々で変わるものだし自分の経験によってマニュアルよりも、より精錬された言動をすることができるようになるのだから、マニュアルに固執していると成長がなくなるよと教えてきました。

我々も常にPDCAで検討し続けることで、これで十分だと自分でゴール位置を決めるので、より良い環境ができたり、方法が見つかるのではないでしょうか?

 

俺も感謝に気持ちで御礼を言っているよ。

これで感謝が無いんなら、相手が悪い。

なんて自分本位な考え方は、大変危険です。

方向性を違えている可能性がありますから。

頑張っているのに方向性が違う。

正当な評価・判断には、なり得ません。

やっている土俵が違うんですから。

無駄な努力になりかねない。

テスト勉強で、全然違う範囲の勉強をしているようなものです。

 

あくまでも依頼をしたのは、お客様。

支払ったのも客様。

この請求に対する義務に関して、ビジネスライクに割り切って行動をすることもあろうけれど、何かの縁で、こういったかかわりを持った我々がしている仕事には、御縁に対する感謝の気持ちをもって仕事に取り組んで欲しいと願います。

 

 

お客様至上主義になってしまうと、対価という見返りに期待が大きくなって、提供することに対する感謝の気持ちが薄れてしまうかもしれませんから、人から何かをされたとき、ありがとうと言える人がいること。

ありがとうと言った人、言われた人が互いに幸せな気持ちになれる。

二重の喜びがあることに感謝ができるように取り組んでいきましょう。

 

 

 

 

 

これは、皆が普段から感謝の気持ちをもって仕事をしていた表れと思いますが、ここ一年での事故費について、保険代理店から善処されたという評価がありました。

タンクローリーには火災、爆発、漏洩といった事故がつきもので、一旦事故が起きると多大な費用が発生することは皆さんも知っていることと思います。

この業界では、火爆漏(「かばくろ)と言います」を対象にした高額賠償保険の加入が必須となっています。

事業そのものは出来ても、製油所、石油メーカーによっては、一定額の保険に加入が無いときは、入構することができないというものがあります。

数年前の池袋線火災も記憶に新しいですが、近年、事故による賠償額は高額になる傾向があるのですが、弊社の車両保険代理店より、今年からカバクロであっても限度額を無制限に保証する保険内容にしつつも、前年よりも保険料を抑えることができました。(15%)

 

 

我々の倉取り車両の仕事も、5年前まで配送していたところが、今は行っていない。

でも営業はしている。

他のローリー屋さんが納入しているんでしょうね。

納入先が減少傾向にあると言っても、当社のタンクローリーは僅か18両です。

日本という括りの中の、さらに関東の中での配送、そして首都圏を配送エリアとした納入先であれば、当然に【燃料油の供給】を生業にする同業他社がいらっしゃいます。

当社の18両の車では捌ききれない需要があるわけですから、当然っちゃ当然ですね。

 

移動タンク貯蔵所の登録件数で検索すると以下のように推移しています。
需要があれば増えるか、現状維持が妥当だと思われますが、緩やかに減少しています。

エネルギー庁の資料も検索すれば、理解が深まると思われますが、【緩やかに】消費が減少していることが明白です。

車両の維持管理も結構な費用が掛かるこの職種では、新規参入は決して簡単ではないと思われます。

また、同業他社の経営者さんも当然に知っている、理解している事柄ですから、如何に生き残るか、如何に収支を検討するかといった思考をもたれていることと思います。

具体的な行動を起こさずに、緩やかに売り上げの低下を見守るのか、安易な値下げによって、当面の売り上げを確保するのか、いつまでもこの尊い業務と、それに携わる従業員の生活の安定のためにより良質な技術の提供をもって顧客、この場合は石油メーカー代理店とエンドユーザーさんを指しますが、顧客満足を得ることで実現していくかです。

縮小する分野を職業に持つ我々は、新しい職種への変換、転職もあり得ますが、我々の培った技術が、他への転用をすることが可能かどうか検討することにも価値があると思います。

 

いつまでも、当たり前に仕事があると勘違いをしないこと。コレが大切だと考えています。

 

株式会社であるという信頼、創業60年という実績、各商社様、各納入先様との信頼関係によって今があります。

 

一念発起して、新しい会社を立ち上げたところで、保証金等の目に見える信用の担保がなければ、直接の取引は難しいのかなとも思いますし、新規参入される同業他社さんも、どこかしらの下請けとして参入されていることを考えても、今の環境はある程度、守られているのかなと感じています。

守られているからこそ、緩やかな変化なのであって、この緩やかであることをもって直ちに行動に移す必要がないと考えるのは、随分とのんびりした考え方だなとも思っています。

緩やかだからこそ、他に先んじてリードできる、より優位な立場になれる、環境を整えることが出来ると思うわけです。

ウサギと亀のおとぎ話のような展開になりそうですが、のんびりと胡坐をかくことなく、今できることを精いっぱいやってみたい。

出来ることもやらずに、漫然と時間を浪費して、いつかあの時にあーしておけば良かった、こーしておけば良かったと後悔をする前に。

その為に、今できること、やれることを考えて実践していきたい。

でも、人に言われて強制されて、ありがたい、ではやろうと思う人がどれだけいるか?

この行為が、自分の利益になるのだと思って、行動を選択して欲しいと思います。

付加させた行為が直ちに自分の利益にはなかなかならないのが常ですが、揺るがない積極的な意思、観念をもって自分の行動を選択し、自分の人生に、職場に、価値観に自分の選んだ種を【行為】育て、花を【結果】咲かせてもらいたいと。

これによって皆が満ち足りた、充足され、且つ健やかな、成熟された豊かな心持で、今までに関わった人々に心からの感謝の気持ちでありがとうと言えるように、自分に与えられている一日の可処分時間の大半を使う就業環境から実践する機会を提供してくれた会社にも感謝しつつ今日のお話を終えたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021.08感謝する気持ちの動画を視聴して

以下の該当する文言を〇で囲ってください。

 

 

 

そう思うところがある

 

 

 

 

全くそう思わない

 

 

 

 

・特に題材にして欲しいものがあれば、大まかにでもコメントを残してください。

・改善した方が良いところがあったら教えてください。

コメント

 

 

 

 

 

 

 

2021.8 感謝する気持ちと二重の喜び

 

いろいろな仕事が世の中にあります。

我々の仕事でも化成品、石油製品、燃料油。

更にはマーク車や、倉取り車。

特大トレーラー車か単車ローリーか?

シフト配送か、日勤か?

細分化されていきます。

比較的容易に終えられる配送先と、そうではなくて、煩雑に荷扱いが必要になるお届け先とが少なからず存在します。

労働の対価として賃金を受ける我々ではありますが、割のいい仕事、通常よりも手数が多くかかるところとを区別して、人との配車の違いに不平や不満を思うことは少なからずあるのかもしれません。

自分が乗っていたときは、いい時も悪いときもあるよね。と思っていました。

ストレートに2回転の仕事であっても、150kmで走れるわけもなく、当然に時間もかかるわけですし、残業代になるのだし渋滞も致し方ないかと思うようにしていました。

 

ということで、今回は『刺激・行動に対する反応の話』をしたいと思います。

何やら、難しそうな話に感じるかもしれませんが、簡単に言えば、みんなが、今ある仕事に感謝する気持ちをもって取り組もうよ。

というお話になっていきます。

 

こどもに言って聞かせるような内容に感じるところも出てきますが、大人でも子供でも、何かをされたらありがとうという反応をするのが、ごく自然なことだと思うのですが、こういった話の中で『気づき』というものがあれば、自分を振り返る材料にしてもらえたらなと思います。

 

何かをしてくれた=感謝

何かをしてくれたというのは、対価を払っているかもしれないし、親切からの無償での行為かも知れません。

無償なのであれば、きれいな話で終わるのですが、金を払っているんだから、やって当たり前だ!!なんて主張をされるのを当然のことだと受け入れるのは寂しくないでしょうか?

 

支払うから権利があるんだ!と、金を受け取るんだから義務が発生するんだ!とか。

確かに契約としては意思の合致があるわけですから、それで成立はするのですが、やっぱりね、感謝されながら仕事もしたいと思いませんか?

 

確かに自分で選んだ仕事ですから、やらなくてはいけない。

朝から晩まで人間観察なんてしたことないですから、わかりませんけど、

お客さんも、やってくれて当たり前と感じている節もあります。

もしかしたら、そう思う人が大半かも知れません。

コンビニの店員さんが、愛想良くありがとうございました。と言ってくれるのと、どこ向いて言ってんのかわからないような御礼を聞かされているのとでは、聞いた側でも感じ方は違うと思います。

労働契約をしているから労働力の提供をするのですが、店主や経営者に代わって労働力の提供をする約束をしていて、店主に代わってお客さんと売買契約による行為をする。

その行為に付随させてお礼を言うこともオペレーションの中に含まれている。

労働契約の中でのお礼を言うという行為が求められているのに、聞いた側では受け取れる印象が変わってくると言うことがあるには理解できるでしょうか?

自分が接客されて、どっちの店員さんの方が嬉しいと思いますか?

あなたが買うために支払うお金、値段は同じなんです。

タバコ一つ買うでも、愛想良くお礼を言われた方が嬉しくないですか?
別に気にしないよ。と思う人でも笑顔で、心から、ありがとうと言ってもらえているのがわかるとき、そのお礼の言葉を聞いた自分は、「バカ野郎、ありがとうなんていうんじゃねぇ。

虫唾が走る!!」

なんて思ったりしないですよね。

あれ、この子、俺に気があるのかな?と勘違いすることはあっても、嫌いになることは無いと思うのです。

タバコ一つしか買わなかったのに、こんなに気持ちの良い感謝の言葉をもらえるのは嬉しいな。ありがたいな。と感じませんか?

きっと、その店員さんにはノルマなんて無かったと思うんです。

ノルマがあって、セールスをされて、お願いされて、特に必要もないけどしょうがなく買ったというわけでもないのに、当たり前のオペレーションの中、感謝の気持ちを込めて御礼を言ってくれたんです。

お礼を言うという、当たり前のことをしっかりとしてくれた店員さんに客の立場なのに感謝の気持ちを持てるというのは、スゴイことだと思うんです。

飲食の場でも、最後のお礼の時に限らず、接客中の振る舞いに感じるものがあったとき、お会計の後に、「御馳走様」と言ってお店を出たりしませんか?

「御馳走様」の後に、声に出してまで言うかは人それぞれですが、「御馳走様、ありがとう、おいしかったよ」と続くと思うんです。

そういうことを言ったことがあるという人いませんか?

有りますよね。

 

ただ気を付けてください。

嬉しい気持ち、楽しかった気持ちを無制限に表現を無制限で表現をすると、ニヤニヤとしたいやらしい笑顔になっていたり、ナンパだと思われることもありますから。

今までにこやかだった顔が、訝しがった顔になるかもしれませんので、こちらからの言い方にも気を付けましょう。

 

さて、コンビニだったり、飲食店だったりと場面を変えながらの例え話をしていますけど、お客さんの側である我々でも、「ありがとう」と言える環境になっていることがあるんですよね。

 

お客に対してはやらなくてはいけないという、義務的なところから、そこを超えて、たくさんあるお店の中で、うちを選んでくれた。

トイレを使う目的があったのかもしれないけど、買い物もしてくれた。ありがたいな。

受け取り方一つで、感謝にもなるし、面倒くさい、やらされているという気持ちにもなり得るんですよね。

 

そういった行為に対して感謝の気持ちで受け入れる準備があれば、自分の中で育てば、自ずと義務的に言っていた御礼の言葉が、「うちの会社に依頼をしてくれた。ありがとう。」「この依頼があって、私の仕事が成立しているのだ。ありがたい。」という感謝の気持ちで御礼を言うことになると思うんですよね。

感謝の気持ちがあるから、きれいな着こなしで、丁寧な言葉で、立ち振る舞いもキビキビと。

ありがとうございました。の後に、感謝の気持ちから「またお願いします」と自然と言えたりする人がいると思うのです。

 

ヒトですから、忙しいときと暇なときとでは仕事に対する感じ方も違うでしょうけれど、相手からしてみれば、そのような事情は関係ないですから。

 

私の依頼に対して、こういった結果があったという事実をもって判断されることが大半だと思いますから、ちょっと疲れていて不機嫌な気持ちで仕事に取り組んでいた。

ぶっきらぼうな感じでお客に対応していた。

お客さんからしたら、それが全てですから。

 

 

 

 

 

極まれに、本当にタマタマだったんです。

いつもはこうじゃないんです。

チョット虫の居所が悪くて。

ちょっと考え事があって。と弁解しても

ああ、そうなの?なんて事情を真摯に聞いてくれたりはしないと思うのです。

 

あーあ、こんな振る舞いをされちゃった。

うちのことを軽く考えているのかな。

お客のことなんか二の次なのかな。

今後もこういうことがあるのかな。

期待しない方がいいのかな。と思われたら、なかなか挽回することはできないですよ。

 

信頼関係という括りでは、二度目のチャンスは中々ないと思います。

 

それぐらい、お客さんとの対話は重要なことでもあるのですが、重要だと口では言われても、じゃあ、そのためにはどうすればいいのか?っていうのは具体的に表現をすることが難しいのかも知れません。

であるならば、感謝する気持ちをもって行動をしよう。ということに行きつくのかなと思います。

 

受け取る側の受け入れる準備、感謝につなげる受け止め方が習慣化されているか?

そのような気持ちでいてくれる人は少ないかもしれないけれど、店員さん側にいる提供をする我々が、まず率先をして、感謝の気持ちをもって仕事にあたる。

 

「俺は感謝の気持ちで御礼を言っているから、もうこれ以上、特別なことはしなくていいんだ」という発想をすることなく取り組んで欲しいと思います。

これでいいんだという発想のときは、もう十分提供をしている。これ以上しなくていい。という判断が働くと思っています。

相手がある事なのに、自分で勝手にゴールを作ってしまっていることが考えられます。

 

課題の分離の話でもしましたが、我々の提供に対してどのように受け止めるかは、相手の課題です。

相手がどのように受け止めるかを、我々は指図をする立場にありません。

 

ですが、提供を受けた相手が、どの様に判断をするのかを予想をして、自分の希望する結末になるように提供をすること、誘導をすることはできますから。

昔、バイト君に言ったことがあるのですが、『マニュアルは出来た時点でもう古い』と話していたことがあります。

こうした方が良い。

という判断も、その時々で変わるものだし自分の経験によってマニュアルよりも、より精錬された言動をすることができるようになるのだから、マニュアルに固執していると成長がなくなるよと教えてきました。

我々も常にPDCAで検討し続けることで、これで十分だと自分でゴール位置を決めるので、より良い環境ができたり、方法が見つかるのではないでしょうか?

 

俺も感謝に気持ちで御礼を言っているよ。

これで感謝が無いんなら、相手が悪い。

なんて自分本位な考え方は、大変危険です。

方向性を違えている可能性がありますから。

頑張っているのに方向性が違う。

正当な評価・判断には、なり得ません。

やっている土俵が違うんですから。

無駄な努力になりかねない。

テスト勉強で、全然違う範囲の勉強をしているようなものです。

 

あくまでも依頼をしたのは、お客様。

支払ったのも客様。

この請求に対する義務に関して、ビジネスライクに割り切って行動をすることもあろうけれど、何かの縁で、こういったかかわりを持った我々がしている仕事には、御縁に対する感謝の気持ちをもって仕事に取り組んで欲しいと願います。

 

 

お客様至上主義になってしまうと、対価という見返りに期待が大きくなって、提供することに対する感謝の気持ちが薄れてしまうかもしれませんから、人から何かをされたとき、ありがとうと言える人がいること。

ありがとうと言った人、言われた人が互いに幸せな気持ちになれる。

二重の喜びがあることに感謝ができるように取り組んでいきましょう。

 

 

 

 

 

これは、皆が普段から感謝の気持ちをもって仕事をしていた表れと思いますが、ここ一年での事故費について、保険代理店から善処されたという評価がありました。

タンクローリーには火災、爆発、漏洩といった事故がつきもので、一旦事故が起きると多大な費用が発生することは皆さんも知っていることと思います。

この業界では、火爆漏(「かばくろ)と言います」を対象にした高額賠償保険の加入が必須となっています。

事業そのものは出来ても、製油所、石油メーカーによっては、一定額の保険に加入が無いときは、入構することができないというものがあります。

数年前の池袋線火災も記憶に新しいですが、近年、事故による賠償額は高額になる傾向があるのですが、弊社の車両保険代理店より、今年からカバクロであっても限度額を無制限に保証する保険内容にしつつも、前年よりも保険料を抑えることができました。(15%)

 

 

我々の倉取り車両の仕事も、5年前まで配送していたところが、今は行っていない。

でも営業はしている。

他のローリー屋さんが納入しているんでしょうね。

納入先が減少傾向にあると言っても、当社のタンクローリーは僅か18両です。

日本という括りの中の、さらに関東の中での配送、そして首都圏を配送エリアとした納入先であれば、当然に【燃料油の供給】を生業にする同業他社がいらっしゃいます。

当社の18両の車では捌ききれない需要があるわけですから、当然っちゃ当然ですね。

 

移動タンク貯蔵所の登録件数で検索すると以下のように推移しています。
需要があれば増えるか、現状維持が妥当だと思われますが、緩やかに減少しています。

エネルギー庁の資料も検索すれば、理解が深まると思われますが、【緩やかに】消費が減少していることが明白です。

車両の維持管理も結構な費用が掛かるこの職種では、新規参入は決して簡単ではないと思われます。

また、同業他社の経営者さんも当然に知っている、理解している事柄ですから、如何に生き残るか、如何に収支を検討するかといった思考をもたれていることと思います。

具体的な行動を起こさずに、緩やかに売り上げの低下を見守るのか、安易な値下げによって、当面の売り上げを確保するのか、いつまでもこの尊い業務と、それに携わる従業員の生活の安定のためにより良質な技術の提供をもって顧客、この場合は石油メーカー代理店とエンドユーザーさんを指しますが、顧客満足を得ることで実現していくかです。

縮小する分野を職業に持つ我々は、新しい職種への変換、転職もあり得ますが、我々の培った技術が、他への転用をすることが可能かどうか検討することにも価値があると思います。

 

いつまでも、当たり前に仕事があると勘違いをしないこと。コレが大切だと考えています。

 

株式会社であるという信頼、創業60年という実績、各商社様、各納入先様との信頼関係によって今があります。

 

一念発起して、新しい会社を立ち上げたところで、保証金等の目に見える信用の担保がなければ、直接の取引は難しいのかなとも思いますし、新規参入される同業他社さんも、どこかしらの下請けとして参入されていることを考えても、今の環境はある程度、守られているのかなと感じています。

守られているからこそ、緩やかな変化なのであって、この緩やかであることをもって直ちに行動に移す必要がないと考えるのは、随分とのんびりした考え方だなとも思っています。

緩やかだからこそ、他に先んじてリードできる、より優位な立場になれる、環境を整えることが出来ると思うわけです。

ウサギと亀のおとぎ話のような展開になりそうですが、のんびりと胡坐をかくことなく、今できることを精いっぱいやってみたい。

出来ることもやらずに、漫然と時間を浪費して、いつかあの時にあーしておけば良かった、こーしておけば良かったと後悔をする前に。

その為に、今できること、やれることを考えて実践していきたい。

でも、人に言われて強制されて、ありがたい、ではやろうと思う人がどれだけいるか?

この行為が、自分の利益になるのだと思って、行動を選択して欲しいと思います。

付加させた行為が直ちに自分の利益にはなかなかならないのが常ですが、揺るがない積極的な意思、観念をもって自分の行動を選択し、自分の人生に、職場に、価値観に自分の選んだ種を【行為】育て、花を【結果】咲かせてもらいたいと。

これによって皆が満ち足りた、充足され、且つ健やかな、成熟された豊かな心持で、今までに関わった人々に心からの感謝の気持ちでありがとうと言えるように、自分に与えられている一日の可処分時間の大半を使う就業環境から実践する機会を提供してくれた会社にも感謝しつつ今日のお話を終えたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

令和    年    月    日

 

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