2020.11
心をはっきりとする
事故の防止のために必要なこととしましては、自分の心をはっきりとさせて仕事に取り組むこと。
はっきりとだけでは、なにやらぼんやりとした印象にも思われるかもしれませんが、事故を惹起したときの原因、要因には、一定の事柄について知らなかったこと、気づかなかったこと、故意であること、過失があったことがあげられます。
特にこの過失については、言い換えればぼんやりとしていたこと、うっかりとしていたという表現になることは理解し易いと思います。
どうしてこうなったんだろうと言う問いかけに対して、「ついうっかり」、「ぼんやりとしていて」、「考え事をしていて」という抗弁を耳にすることかと思います。
悪質なものとしては、こうなると結果を知っていて、なのにあえてやったと言う「故意」の概念も去年言いましたね。
この故意じゃなくて、「うっかりとした行動」に対応するには、はっきりとした気持ちでいることで防げるのではないかと思うわけです。
ではこのはっきりとした心持ちですが、日常の中で、ある事柄にも当てはめてみると、我々が道を歩いていた時についうっかりと、躓いてしまう。転んでしまう。
これも幼いときに歩くことを学んだ我々からすると、歩けることが当たり前の環境の中で、転んでしまうことはなかなかないことではあるけれど、それでも現実には転んでしまうことだってあり得るわけで、どうして転んでしまったのか?
アスファルトが隆起していて気付かずにつま先が当たり片足の着地が不安定になって、よろけて転んでしまう。
ぼんやりとしていて、もしくは疲れていて片足のあげ方が不十分でやはりつま先が地面を蹴り躓いてしまう。
わざと転ぼうとしているわけでもないのに、それでも転んでしまう。
ぼんやりと漫然と歩いていたと言えるんではないでしょうか?
当たり前のような作業の連続の中でついうっかり、ぼんやりとしていて事故を起こしてしまう。
疲れていた、ということも当然にありますが、わざと転ぼうとするように、事故を起こした人が会社に迷惑をかけてやろうといった心持でない限り、なかなか現実では起きえないわけですが、それでも事故は起きてしまった。
ひとたび事故を起こせば、執拗に聞き取りをされ、原因を究明され、その際に避難の目や好奇の目にもさらされる。そして今後はどういった対策を講じるべきなのか検討をすることになる。
良いことなんかないじゃないですか?
自分の人生なんてくそったれだ、みんな敵だ!
自己承認?所属感? そんなもの知るか!
みんな道連れだーと言って悪さをする人はこの会社にはいないと思うわけです。
こころをはっきりとして、業務上の過失を問われることなく安全に走行、荷役をしてもらい、且つ付加価値のある技術の提供をしていただきたい。
口で言うのはたやすいですが、現場に出向いて提供をするのは皆さんですので、いくら事務方の人間が気を吐こうとも、空回りになりかねないのです。
使用者責任という概念もお伝えしたことがありますが、実質的な無過失責任主義といえど、
あまりに重度な過失であったり、帰責性の高い事情の下では流石に責任は免れないと思わうわけです。
過失割合云々という事情もあるのですが、ただ漫然と走行をする、荷役をすることをただ手放しで会社が黙認をするということはあり得ませんから、皆からの危険に対する意識付けとその承諾、理解をしたことの署名を求めていることからも、会社が全くの無関心でいるという勘違いをすることは、自分の身を危うくする発想ですのでくれぐれもご注意いただきたいと思います。